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Paper Planes 紙飛行機

オーストラリア映画 (2014)

エド・オクセンボールド(Ed Oxenbould)が主演する紙飛行機の飛距離大会を描いた映画。コメディとハートフルの要素が混じっている。『アレクサンダーの、ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日』と同年の公開だが、製作はエド・オクセンボールドがハリウッドに進出する前。如何にもオーストラリアの田舎育ちの子供の感じがよく出ている。それと、紙飛行機が一方の主役になっているが、これは、映画史上でもきわめて珍しい。紙飛行機に係わる国際大会は、レッドブル・ペーパーウィングス(Red Bull Paper Wings)だが、それが始まったのは、意外と遅く2006年になってから。だから映画にもなっていないのかもしれない。この映画の中では、オーストラリアの州大会、シドニーでの全国大会、そして、東京での世界大会と3つの大会の様子が描かれる。州大会の予選突破は飛距離25メートル以上、オーストラリア代表の資格は50メートル以上という設定だが、全日本折り紙ヒコーキ大会の小学生の部の最高記録(2015年)が31.20メートルなので、50メートル以上というのは極めて高いハードルだ(因みに、成人のギネス記録は69.13メートル)。

エド・オクセンボールド演じるディランは、半乾燥地の広がる田舎の小さな小学校に毎日自転車で通っている。その途中で、毎朝、家から持ち出した生肉を、友達の鷹に与えている。ある日、首都メルボルンから来た講師が、生徒全員に紙飛行機を作らせる。そして、みんなで一斉に飛ばすと、ディランの飛行機だけが部屋を飛び出し、空へ舞い上がっていった。しかし、うまく飛んだのはそれ1回だけ。後は、何度やってもちっとも飛ばない。先生、祖父、そして、父がアドバイスするが、耳に入らない。そうしているうちに、州大会の日がやってくる。一人でバスに乗って大会までやって来たディランは、多くの参加者の中で2位となり、全国大会への出場が決まる。そして、シドニーでの全国大会。今度は父が車に乗せて行ってくれる。そこで出会った日本のチャピンオン・キミ。妙に意気投合する。そして、成績はやはり2位。かろうじて世界大会への出場権を得る。航空運賃を払えるような経済環境にはないが、父がガレージセールを開いてくれて、何とかディラン1人分の旅費は集まった。そして、いよいよ東京へ。ディランは、友達の鷹を思い浮かべ、あっと驚くような飛び方をする飛行機を飛ばし、1位に輝く。

エド・オクセンボールドは、コメディになると本領を発揮するが、シリアスな場面は表情が単調になりがち。どれも似たような写真になってしまうので、選ぶのに苦労した。


あらすじ

朝からTVを付けっ放しで父が寝ている。父は、5ヶ月前に自動車事故で妻を亡くしてから、落胆のあまり、毎日 何もせず家でゴロゴロしている。息子との会話も途絶えている。ディランは、朝起きてきて、そんな父を見ると、TVを消し、わざとラジオを大音量で付け、起きざるを得ないようにして家を出る。冷蔵庫から取り出した大きな肉片を大事に持って。ディランが自転車で荒野を走ると、空には、その姿を見た鷹が寄っている。そして、肉片を取り出して見せると、すぐ近くの木におとなしくとまる。そして、ディランが肉を高く放り上げると、それを巧みにキャッチして飛び去って行く。少年と鷹は、いい友達なのだ。
  

平屋の小さな小学校。アロハを着たスペイン系のきさくな教師が、生徒全員が熱中しているモバイル端末や携帯を取り上げる。そして、「今朝は、抜き打ちテストだ」と冗談を言った後、「ホントは、楽しいぞ」と言ってメルボルンから来訪した講師を紹介する。紹介するときも、ファースト・ネームだけ。生徒も、「ジェスロ」と、ファースト・ネームで呼びかける。どこの国よりくだけた感じだ。さっそく、ジェスロは、生徒達を講堂〔と言っても小さいが〕に移動させ、そこで紙飛行機を作らせる。州大会で勝つためには25メートル以上飛ばす必要があると話した後で、みんなが一列に並び、一斉に飛ばす。みんなの飛行機が撃沈する中、ディランの飛行機は扉をすり抜けて廊下に飛び出し、そこから校庭へ。感心して名前を尋ねる講師。これで州大会への出場は必須となった。
  
  

意気揚々と家に帰るディラン。広い国にしては、小さく粗末な家だ。裕福な家庭とはとても言えない。家では、父はまだTVの前で寝ている。そこに、ディランが飛び込んできて、「日曜の州大会で、紙飛行機を25メートル飛ばせたら、シドニーの代表決定戦に出られるんだ」と一気に話す。寝起きで、よく理解できない父。「今日も働きに行かなかったよね?」とディランに指摘される。そして、「腰を上げないと」とも付け加える。これは、そろそろしっかりしろという意味なのだが、父は立ちがって「立ったぞ」とごまかす。確かに、腰を上げたことには変わりない。このダメ父、映画のほとんどラストまでダメっぷりをさらし続け、少しくどいが、それを行動派タフガイのサム・ワーシントンが演じている〔かなり、違和感が〕。2枚目の写真は、父に、紙飛行機の折り方を「どこで覚えたんだ?」と訊かれ、「ママだよ」と言った瞬間の顔。
  
  

週末に大会があるので、翌日は担任の先生が付きっ切りで練習するものの、何機飛ばしてもボタボタ落ちるだけ。ディラン:「どうすれば?」。先生:「考えろ」。「先生なんだから、アドバイスしてよ」。「先生として言おう。頭を使って考えろ」。老人ホームにいる祖父は、昔、戦闘機のパイロットだったこともあるので、学校の帰りに寄ってみる。「パイロットだったでしょ? 何か、ヒントは?」。「わしは、エンジン付きの飛行機しか飛ばしたことがない」「一つだけは言える。自分で考えるこった」。「それって、先生が言ったのと同じだ」。そして、帰宅。珍しく父が協力的。ヨットレースのビデオで、優れたアイディアとして、“翼キール” というものがあると教える。そして、手を使い、「これが、普通のキール。それを、こんな形にした。お前も 真似たらどうだ?」とヒントを与える。「そんな、分かんないよ」。「なら、見つけるんだな」。「みんな そう言うんだ。おじいちゃん、先生。それに、パパまで」。「アドバイスしてやろう。飛ぶもの全部を調べろ」。実は、ダメ父の2つのアドバイスは、最後になって生きてくる。
  
  

州大会の日。前夜、父には、「あのね、明日の州大会に 出るなら、すごく早起きしないと。分かった?」と訊き、「いいとも」。「いいの?」。「ああ、いいぞ」と確約を取ったハズなのに、いざ朝になってみると、起きるどころか、「放っといてくれ!」。仕方なく、父の財布を取り出して、バス代を拝借。遠くのバス停まで自転車で行き、自転車ごと乗せてもらう。
  
  

州大会は、無条件でエントリーできるので、応募者で一杯。1回に7-8人ずつ、一列になって投げる。その列が何列にもなっている。みんな、どちらかの親と一緒で、一人なのはディランくらいだ。登録して、順に並ぶ。「次のグループ、前に。線まで進んでくれるかな? 線を越えないよう、注意して。越えたら失格になる。25メートル以上を目指すんだ。今日、25メートル以上 飛ばせれば、シドニーの全国大会に出場できる。3からカウント・ダウンする。旗が降りたら、思い切り投げて。じゃあ、いくぞ。3、2、1、投げて」。そして、ディランは投げた。偶然、一緒に投げたジェイスンが1位、ディランが2位。このペアは、シドニーの全国大会でも1・2位となる。ジェイスンの父は、有名なプロ・ゴルファー。一緒に写真を撮ってもらったり、サインを頼む人が多く、ディランも目をパチクリ。この、ジェイスン、父をファースト・ネームで呼ぶような生意気な少年だ(2枚目の写真の左端のディランの右隣)。金持ちなのも鼻にかけている。この映画における “悪役” だ。
  
  

帰宅したディラン。父は、開口一番、「どこにいた?」と詰問する。ディランも面白くない。「紙飛行機の競技会。今日のだよ。いつも見てる古いビデオに 撮っとけばよかった。一人で行った。バスに乗り損ねるトコだった。起こそうとしたけど…」。「だからって、俺の財布から金を盗っていいのか?」。「バスの切符を買うためだよ」。「外出禁止だ」。「パパが 起きなかったからだろ」。「1週間だ」。「興味ないだろうけど、決勝に進んだよ」。これでは、ディランが可哀想だ。そんな父だったが、ディランの祖父や友達が協力する姿を見て、少しは改心したのか、シドニーまで車で連れていってくれることになった。しかし、そんな父もホテルに入り、シドニーの街を背景にディランの記念写真を撮るところまでは、はしゃいでいたが、それ以後は、部屋に閉じ籠もったきり、親の懇親会にも出てくれない。困ったものだ
  
  

全国大会には、世界大会の開催国・日本の小学生チャンピオンのムロヤマ・キミという少女が招かれていた。ディランは、一目見て気に入り、ホテルのフロントで部屋番号を聞き、紙飛行機に「エミューも飛ぶ夢を見るのかな?」と書いて飛ばす。この言葉は、参加者の前でキミが自己紹介した時、「オーストラリアは、私の好きな、“飛べない鳥エミュー” の故郷です」と話したのを受けたものだ。しかし、この “ラブレター” は、運悪くジェイスンの部屋に飛び込んでしまい、後でさんざんなじられる。それでも、それがきっかけになってより親しくなることに成功。次いで、予選が行われるが、選定基準が説明されないので、観ていても面白くない。そして、決戦前のひと時、ディランとキミがスタジアムで仲良く座っている。キミの持ってきた変わった紙飛行機を見て、「その おかしな飛行機、何なの?」と訊く。「クジラよ。父はいつも言ってる。『自然を見ろ。そこに挑戦への答えがある』って」。「うまくいくと思う?」。「ただ 遠くに飛ばすことより。美しかったり、驚かすことができたらいいな。そんな風に勝ちたいわ」。「無茶だよ。できっこない」。しかし、このキミの言葉を最後に実践するのはディラン本人である。そういう意味では、これは重要な会話だ。決勝の本戦は、勝ち残った8人で争われた。50メートルプールのスタート台に立ち、「目標は、助走なしで、50メートルプールの端に到達すること」と言われる。7番目に投げたジェイスンの飛行機はプールを飛び越えたが、ディランの飛行機は、直前で着水。しかし、惰性で飛行機の先端がプールの端の壁に接触した。「これでいいのか」と思ったが、2人目のオーストラリア代表に選ばれたので、そういうルールなのだろう。
  
  

ホテルに戻ったディラン。父は、応援にも来ず、ベッドでTVを見ている。「オーストラリアで2位だ」と報告した後、「決勝戦は日本だよ。で? 行ける?」と訊く。「日本? すごい旅費だ」。「知ってるよ。だけど、もし、①パパが働き始めるか、②僕が放課後にバイトすれば、往復できるんじゃないかな」。「日本だぞ。放課後のバイトだと? ばかげてる。とても無理だな。悪いが」。「悪い? 悪いなんて思っても ないんだろ。シドニーにいるのに、ずっとホテルじゃないか。競技にも来てくれない」。そして、カーテンを全開する。「ほら、見て。外には、世界があるんだ」。「お前には、分からん」。「僕に分からない? 分かっちゃいないのはパパの方だ。僕は12でも分かってる。ママは死んだんだ。もう 戻らない。永久に。二度と会えないんだ」。前にも書いたが、ダメ父ぶりが くどすぎる。
  

そんな父を、一時たりとも動かしたのは、ディランが少しとジェイスンが長々と映ったTVのニュースだった。内容は、ジェイスンが、自分の作った紙飛行機の性能を風洞実験でチェックする姿がほとんど。それを見て、「不公平だよ」「東京への切符すら買えないのに」とつぶやくディラン。この言葉に良心を揺すぶられたのか、父は、ディランを納屋に連れて行き、ガレージ・セールをやると言い出す。カレージ・セールは、祖父のいる老人ホームの面々も応援にかけつけて大盛況。1745豪ドルの売り上げがあり、ディラン1人分の旅費をまかなえることに。それが分かって、全員で大はしゃぎ。
  
  

ディランが、先生にまず確認したことは、「日本に行くのに 注射 打たなくていい?」(1枚目の写真)。彼は、針が大の苦手なのだ。これは伏線。ディランが、結果を報告しに家に入ると、そこでは父が、昔撮った母のビデオをじっと見ている。それを見たディラン。食事時間に、「空港まで来てくれない?」と頼む。「お前なら大丈夫」。「僕は大丈夫だけど、パパのことが心配だ」。「俺なら大丈夫だ」。「そう、じゃあ、日本には行かない」。「行って楽しんで来い。好きなんだろ?」。「うん」。「なぜ、そんなに好きなんだ?」。「それは… 飛行機が飛んでる わずかな間… 忘れられるから」。「何をだ?」。「これだよ」と言って父を見据える(2枚目の写真)。ディランは、家の外にいた祖父に、「パパのこと頼める? 見てるだけでいいから」。これが、子が祖父に頼む言葉だろうか。
  
  

そして、いよいよ東京。最初の歓迎パーティのシーン。ジェイスンは、パーティは無視し、父にべったり。父:「みんなと会って来ないのか?」。ジェイソン:「そんな時間ないんだ、パトリック」。「名前で呼ぶな。父親だぞ」。「あいつらとは友達にはなれない。みんな競争相手だ。敵なんだ」。一方のディランとキミ。「やあ元気?」。「また会えたわね」。「カッコいいね」。「どうも」。「楽しいね。興奮しちゃう」と至って健康的。ここで、富士山をバックに西新宿のビル群の間から朝日が昇るシーンが入る。そして、ディランが箸で困るシーンも。最近の外国人は箸にも慣れているが、オーストラリアの田舎の子供ならこんなものであろう。
  
  

その後、参加者が日本庭園の中で和紙作りの過程を案内される場面がある。その際、黒人の選手に丸めた紙をぶつけるジェイソン。「やめろよ!」。「何だよ、ただの紙じゃないか」。それを聞いたディランが割り込む。「何やらかしてる? 2000万のオーストラリア人に恥かかせるのか? ひっこんでろ」。「何だと?」。「考えてみろよ。こんなことやって いいと思うのか?」。みんなに睨まれて 引き下がるジェイソン。しかし、報復は素早かった。ホテルの階段で、「おい、決勝戦で どべになったら、パパに泣きつくのか」と話しかける。「何て奴だ ジェイソン。友達なんかより、勝てりゃいいのか」。「当たり前だ。それに、父がちゃんと見に来てる」〔1人で着たディランへの当てつけ〕。そして、階段を登りきったところで、「貧乏人め」と言って、ディランの体を突き落とす。階段の踊り場まで落ちて、手首を捻挫したディラン。キミが付き添って、ホテルの医者へ。捻挫したのは、飛行機を投げる方の手首なので、明日の決勝には出られない。キミが医者に訊いてみると、一つだけ方法があると言う。「どんなことだってやるよ」というディラン。ところが、それは、ディランが最も苦手な針だった。16本も鍼をうたれ、ジェンソンの悲鳴が響き渡る。
  
  

ディランは、ホテルのパットゴルフ場で、偶然、ジェイソンと父と出会う。「明日は、勝ちたい?」と訊かれ、「さあ、だけど、できれば、ぜひ」と答えるディラン。「そうか、なぜだい?」。「もし、優勝したら、パパが僕と遊んでくれるかも」。その答えに、家庭問題があると思い、「うまくいくまで時間がかかることもある。しかし、もし ずっと一緒にいれば、いつかは うまくいくよ」とアドバイス。このアドバイスは、ディランが父に掛けた電話でそのまま生かされた。「僕… 言いたかったんだ… 僕、ずっと一緒にいる。そう… いつまでも、パパと」「すぐ会えるよね。祈ってて。大好きだよ、パパ。じゃあ」。それを、居留守で聴いていて涙ぐむ父。このダメ男は、これで、ようやく立ち直ることができた。そして、ガレージ・セールの時、売るのを拒んだ妻のピアノを3000豪ドルで売って、ディランの応援にかけつける。
  
  

いよいよ大会の日。代々木の国立競技場に集まる大勢の人々。決勝に臨む8人が、半天姿で現れる。そして、台の上に1人ずつ乗り、1枚ずつ紙を渡され、制限時間90秒以内に折り終えるよう、司会者から申し渡される。飛行機を折り始めるディラン。残り45秒の声がかかった時、ディランの頭の中を空を飛ぶ鷹の姿がよぎり、それまでの折り方を止め、鳥をイメージした折り方に変える。
  
  

いよいよ飛ばす時がきた。母と一緒に投げた時のことを思い浮かべ、高く投げるディラン。それは、鷹のように会場内を自由自在に舞い、世界記録を達成したジェイソン、それを超えたキミの青い飛行機のさらに先まで飛んで、片翼を床に触れながら(写真は、1枚に入りきらないので、2枚を合成した)、再び舞い上がると、ディランの肩をかすめ、ちょうど会場に入ってきた父の手の上にそっと降りた。父:「美しいな」。ディラン:「これが、僕の “翼キール”。クライヴだ」〔クライヴはディランが鷹に付けた名前〕。父:「ずっと一緒にいてくれるか?」。「うん。いつまでも。約束する」。幸せそうな父子。そして、表彰台の一番上に立ったディラン。2位のキミと、3位で自分勝手さをやめたジェイソンの手を掲げ、3人で喜ぶ。如何にもディランらしい。
  
  

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